2008年04月08日
チューリップ・バブル
名前のようにかわいらしいものではなかったようです。
バブルをもたらした原因が何であるのか、いまもって明らかにされていない。後述するような民衆の狂気と貪欲さに求める偶発説や、このような価格の乱高下は日常的であったとする説などがある。オランダは当時、経済大国であったが、バブルの担い手となった民衆は貧しい暮らしにあえいでいた。
オランダの北部7州は対スペイン戦争に勝利し、17世紀の始めには実質上独立を獲得していた。そこからオランダは一躍、オランダ海上帝国としてヨーロッパに君臨した。これには、ポルトガルから香料貿易を奪ったこと、三十年戦争により中部ヨーロッパが混乱してアムステルダムに商取引が集中したこと、オランダ東インド会社がバタヴィア経営から利益をあげていたことなどが背景にある。結果、所得は最高水準になり、海外の美術品がオランダに集中してきていた。
そのいっぽうで、物価もまた、他地域にくらべて割高になっていた。賃労働者や職人らの年収はおよそ250フロリンと推定されている。これは家族4人が食べていくだけで精一杯な収入であり、肉を口にすることはめったになかったといわれる。かれらがバブルに参入するとき、家財道具や家畜など換金できそうなものを取引に投じた。
さらにバブルをおこすためのマイナス材料として、カルヴァン主義の浸透があげられる。勤勉と倹約を美徳とするカルヴァン主義が広まっていた当時のオランダでは、華美な服装などが慎まれた。富める者も貧しい者も同じような服装をしており、街なかで人の貧富を見分けるのは難しかったといわれる。こうした信条のオランダ人たちがなぜ投機に走ったのか、いまのところ解明されていない。
オランダへの伝播
チューリップの発祥は天山山脈と伝えられる。オスマン・トルコは勢力を広げるなかでチューリップと出会い、たちまちのうちに魅了されてしまった。やがてコンスタンティノープル(イスタンブール)を陥落させると、トルコ人たちは荘厳な宮殿を建立した。そこで幾種ものチューリップが栽培・品種改良され、衣服の模様や絵画に登場した。16世紀になると、商人によってヨーロッパ各地に伝えられた。
膨大な品種が系統だてられてチューリップが認識されるようになるのは、植物学者カロルス・クルシウスの研究による。フランクフルトで細々と球根植物を研究していたクルシウスは1593年、ライデン大学に招聘された。彼は豊富なチューリップの球根とともにライデンに移り、そこでチューリップの研究・栽培をすすめた。このことが、オランダにチューリップを伝えることになった。
クルシウスが発見した特性のなかに、のちにブレーキングとよばれる突然変異がある。ブレーキングをおこした球根は、美しい縞模様の花をつけた。これはウィルスに感染した球根がモザイク病に罹患したためであったが、その仕組みが解明されるのは20世紀になってからである。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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